2023年12月2日(土)の『朝日新聞』夕刊一面にて、いお倉の活動を紹介いただき、それ以来お問い合わせフォームからのメール、および室長の所属機関宛のお手紙がひっきりなしに届くようになりました。

お問い合わせフォームから質問をくださる方があまりに多く、またその質問がほぼ同様であることから、「よくある質問」を更新するという対応を取りました。また、X及びタイッツーにて改めて弊誌の趣旨と投稿を求める論文についての注意を説明しました。

しかし、どうやらおそらくお問い合わせフォームから質問をくださったり、あるいはお手紙を送ってくださったりする方々の多くは、XやHPを十分ご覧になっていないか、ご覧になっていたとしても我々の目指すところが十分伝わっていないのではないか、と思われるところがありました。言葉とはコミュニケーションツールとしていかに不十分かということを痛いほど感じた二週間でした。

みんなもう新聞とか読まないって言ってたじゃん!だからどうせ誰も見ないだろうからって思って好き勝手喋ったのになんだよ!結構新聞読むんじゃん!!!(心の叫び)

しかしそれでも、人間は言葉を通じてしか意思疎通ができないわけで、室長は根気強く、一つ一つのお問い合わせに数千字~数万字の言葉を尽してお答えをしておりました。その要点は、更新した「よくある質問」及びX、タイッツーにまとめてありますので、ぜひご一読ください。

振り返ってみますと、この間にいただいた質問から、「質問者」の像がはっきりと浮かび上がってまいりました。それは、大学で歴史を研究していたわけではなく、民間企業や公務員等、歴史とは全く関係のない職業に就いていたが、退職して(あるいは在職中などの場合もあります)歴史に興味を持つようになった。趣味で本を読んだりブログを書いたり、史蹟を巡ったりしていたが、論文を書いてみたいと思った、というものです。ここから支流が分岐し、一方は①我こそは歴史の真実を見つけた、既存の研究はこの点に気づいていない、大学の先生や学会にこの真実を論文や手紙にして送ったが、何の返事もない、もしくは「間違っている」と返事が来ただけだ、しかし間違っているのは学界の方だ!と考えるに至った方々(なぜか古代史に多かったです)、もう一方は②単なる趣味でも何らかの形に残したい、というより素朴なお気持ちをお持ちの方々、といった具合でした。

改めて申しますと、我々はアマチュア研究家の方々を排除するものではございません。こうしたアマチュアの方々の成果の中には、時折非常に注目すべきものがあることもまた事実です。しかしながら、我々がこうしたお問い合わせに対し投稿前の段階で再考を求める場合は、質問者のくださる質問の文面から、おそらくいお倉に対して大きな誤解をなさっているということが看取される場合であることが多いです。

何をどう看取して、ということは非常に説明が難しいのですが、おおよそ次のような「サイン」から判断しています。(1)『朝日新聞』だけを見て問い合わせをしたことを匂わせる表現(HPやX/タイッツーの記載を読んでいないと思われる表現)、(2)研究対象がくだらなくないこと、(3)単純に「一般から投稿を受け付けている」という点だけをもっていお倉に投稿しようとしていること。

(1)と(2)、(3)は相互に重なるところが多く、物事の表裏であるとご理解ください。(2)とは、たとえば「邪馬台国の真実を見つけたり!」とかいったような、学界でも最大の謎であるようなかなり壮大なテーマを追究しておられる場合です。と、今これを書きつつ遠目に眺めてみると「いや、これ結構おもろいやん…」という感想を持ってしまったのですが、その「おもろさ」はたぶんちょっと質問者の意図したところではないような感じがして、場合によると大きなミスコミュニケーションになりそうな気がするので、あまりいお倉が取り上げてはいけないと押し殺しました。いお倉は人を傷つける笑いを好みません。

(3)は、「我々のようなアマチュア史学家でも投稿できる雑誌があるなんて画期的です!」「ボツになるかもしれませんが、それでも門戸が開かれているだけで天啓です!」といったような熱いお気持ちが伝わってくるものです。お気持ちはたいへんありがたいのですが、こういう文章を拝受しますと、「ああ、そうなのね、いお倉は単に「一般の人から投稿を受け付けている」から新しい雑誌、と認識されているのね…」「あれだけHPにもXにも言葉を尽したのに、何も伝わってなかったのね…」と悲しくなります。また、単に「一般の人から投稿を受け付けている」雑誌は他にもたくさんあって、何もいお倉がその点でパイオニアというわけではないということが十分知られていないということに、更にショックを受けました。

いお倉の新しいのは、「コンセプト」です。我々は「コンセプト芸人」なのです。水準は保ちつつ「笑える」かどうかということを追究しています。笑いのためには血反吐を吐くほどの苦しみをも甘受するという笑いの鬼です。この点が十分伝わっていないことに、無力感ややるせなさを感じ、それでも何度も繰り返し文章にせざるをえませんでした。Xで長文ポストを連ねてしまってうっとおしかった方にはお詫び申し上げます。

ただし、この「笑い」というところを誤解された投稿も見受けられました。我々が追究する「笑い」とは、「どや!おもろいやろ!」というような「狙った感じ」、「媚びた感じ」ではないんです。むしろそれとは全く対極のところにあります。非常に大真面目に、しかしどこかでそれを「笑いになる」と知ってか知らずかわかりませんが、あくまで知らない風で大真面目に、くだらないことに本気で時間と労力を費やす研究、そういうものを探しています。

これって、結構息をするように自然にできる人とそうでない人がいると思うんです。ですので、一生懸命ひねり出さないと出てこない人は、どうかご無理はなさらないでください。室長などは元来こういうことしかできなかった人間なので、逆に既存の学界の中でたいへん苦労しました。いお倉が探しているのは、こういうことが自然にできて、それゆえに「まっとうな歴史学」になじめず苦労している、「かつての室長」たちです。ああ、室長が若い頃にこんなのがあったらよかったなあ、というものを作って、魂の救済をしています(宗教み)。

こういうわけなので、『朝日新聞』を読んでここにたどりついた皆さん、今一度投稿されようとしているご研究を見直してみて、いお倉に出すかどうかを考え直してみてください。

とか言ってもここの文章とかも最後まで読んでくれないんだろうな!(涙)

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