今、日本の大学における歴史学教育は大きな岐路に立っています。日本には770を超える大学があり、その約8割が私立大学です。そしてその私立大学の大半は、18歳人口が減少の一途を辿る中で学生獲得のために厳しい舵取りを迫られています。一部の有名私大や大きな組織・企業を母体とする大学でない限り、学納金が大きな収入源となる以上、学生数の減少は即経営の悪化を意味します。そのような中で、多くの大学ではデータ・サイエンスや国際コミュニケーション、医療・衛生関係など、現代社会のニーズに直結する学部を新設することで入学定員の確保を目指しています。そのことの反面として、一見何の役に立つのかわからない、就職に直結しない歴史学も含めた人文学系の学部はますます苦しい立場に追いやられています。

 ……というようなことは、実は私たち発起人が大学生・大学院生であった10年~20年以上前から指摘されていたことなのですが、今のところ大勢として、大学の歴史学教育が壊滅したというようなことにはなっていません。これには様々な理由があるでしょうし、それ自体が歴史学の興味深い研究対象なのですが、ここではあくまで事実だけを述べるに留めておきます。あえて一言でまとめるならば、社会はそう単純には進まない、ということでしょう。

 その結果どういうことが起きたかというと、90年代から2000年代の大学院重点化政策以降増加した大学院生たちが最初に世に出た時に、その受け皿になってくれたのは大半の私立大学だったということです。そして、今後もしばらくそうあり続けるでしょう。

 しかし、先述の通り今や18歳人口は減少を続け、大学は組織の維持のために定員に満たない学部を切り捨てるか、あるいは入学選抜の基準を緩め、門戸を更に広げるかの二つに一つを選ぶほかないという状況に追い込まれています。それでも、組織というものは組織をなるべく維持したいと考えて動くものです。昨今定員割れで募集停止・廃校を選ぶ大学のニュースも世間を騒がせていますが、多くの大学はそのような道は最後の手段として、まずは組織を維持する方策を考えるでしょう。

 このようなメカニズムで、多くの歴史学研究者の命脈は辛うじてつながってきました。しかし同時に、このことが私たち歴史学研究者にとって持つ意味は、私たちの多くが受けて来た、高度な読解力・思考力・探求力を要する「知の創造・継承」としての大学教育を諦めなければならなくなる、ということです。学問とは体系的なもので、大学における歴史学は、小学校、中学校、高等学校と段階を踏んで、歴史を含む様々な学知を理解した上でなければできない活動が多くを占めています。一つの物事を説明するのにも、その背景にある12年分のあらゆる教科の教育を前提としなければならないことばかりです。私たち歴史学研究者は、そのような学校教育の体系性を充分修得することができないままに入学する学生がますます増える中で、論文にも、学術書にも、史料にも触れられずに4年間を終えてしまうことも少なくありません。

 しかし、研究者としての薫陶を受け、研究者の魂を宿すようになってしまった人間が、そう簡単に「知の創造・継承」を放棄することはできません。ここに、サービスの受け手である学生と、組織の舵取りを行う経営側の求めるものと、タレントとして勤務する研究者の理想とのギャップが生じます。研究者は、最初はそのギャップに苦しみ、しかしいつかはそれを忘れてタレントに徹するようになります。

 それでは、このような研究者はもう研究者の魂を捨ててしまったのでしょうか。私たちは、そうは考えません。私たちは、研究者が一度宿した魂の火は、決して消えないと信じています。どれだけ校務や教育に忙殺されても、街中でふと目に留まった新書、後輩に誘われてしぶしぶながら参加した学会、積読にしていたけれども何かのきっかけでページをめくってみた史料などの中から、在りし日の研究者の魂が音を立てて燃え上がるのを感じたことがあるはずです。そしてそのような原初的な情熱こそが、創造性の源泉となるのです。

 『Historia Iocularis』は、このような信念から生まれた学術誌です。

 発起人・池田さなえはかつてとある地方私大に勤めることになった際、講義・論文読解・刊本史料読み・くずし字史料読み・研究発表という五本柱で構成されていた伝統的な歴史学教育の枠だけは崩さない方針で教育に臨みました。史料読みや研究発表は、多少は工夫が必要であっても伝統的な歴史学教育の方法がある程度適応可能でしたが、最も難しかったのは論文読みでした。そもそも、テキストが見つからなかったのです。

 大学で歴史を学ぶ学生の多くは、歴史は好きだが「歴史学」は好きではないということを私たちはもっと直視しなければならないと思うのです。言い換えるならば、ドラマや漫画、映画やゲームなどで多くの人が触れる「歴史活劇」は好きだが、過去に起こった事象を史料をデータとして復元し、考察していく学問としての活動が好きだという人は少数派なのです。したがって、権力だとか国家構造だとか暴力だとか秩序だとか、そういった抽象的な事柄よりも、戦国武将の女性関係だとか江戸吉原の遊びだとか明治女性のレトロファッションだとか、そのような具体的で、より日常知に近いところにあるテーマや、あるいは普段見えにくいアウトローの世界やオカルト現象など、漫画やゲームなどの世界で扱われてきたようなテーマの方が好まれるのです。

 そのような学生たちに、難解で抽象的な論文を読ませることはあまりに忍びなく、さりとて歴史学の論文がいかなるものかを知らずに卒業論文を書かせて、「大学で歴史とったら楽勝だった」という認識を持つ大人をたくさん世の中に送り出すこともまた、私を育ててくれた歴史学に対する背信行為だと苦しみました。その結果、テーマは具体的かつ日常的、あるいは娯楽的でありながら、実証水準は充分担保されている論文を集めて、楽しみながら歴史学の研究とは何たるかを学び取ってもらおう、と考えるに至りました。これこそが、「歴史」と「歴史学」を両立させる方法だ、と考えたのです。

 しかし、伝統的歴史学の学術誌からこのようなテーマの論文を探し出すことは至難の業でした。辛うじて、初年度12人、2年度に22人いたゼミ生一人一人に担当させられるだけの論文をどうにかこうにかかき集めましたが、もう1年同じ授業を担当していたら、きっと詰んでしまっていたはずです。

 そのような中で、ふと何かがぶち切れ、「ないならば、作ってしまえ」「ないのなら作ってしまえばいいじゃない」と心の中の誰かが囁きました。そうして生まれたのが、『Historia Iocularis』です。

 したがって、『Historia Iocularis』はまず第一義的に、「歴史」は好きだけど「歴史学」は好きじゃない、という多くの学生を抱える大学の歴史学教育、あるいは歴史学を専門としない学部の教養科目を担当することになった歴史学研究者の方々にこそ、手に取って読んでほしい、そして投稿してほしいとの思いを込めて創ったものです。

 しかし、このような大学・学部の授業で使えるということは、高等学校や中学校で歴史を指導する教員の方々や、あるいはかつて大学で歴史学を学んだが職業としては歴史学から離れた多くの方々、在野で歴史研究をしている方々、研究ではないが同人誌・二次創作などで歴史に関わる作品を生み出しておられる方々やそれらを楽しんでおられる方々にとっても、十分楽しめるものとなっているはずです。ここに、『Historia Iocularis』の第二の目的があります。『Historia Iocularis』は、下町の誰もが入りやすい店構えでありながら、一歩中に入ると本場で長年修行した一流シェフが腕を振るって、本格的で、それでいて親しみやすい料理を振る舞ってくれる料理店のようなものを目指しています。

 本格的でありながら親しみやすい料理店というたとえを用いましたが、歴史学においては高度に実証的でありながら「ヘンテコで面白い」論文を載せる雑誌ということになります。この「ヘンテコで面白い」ということが、簡単そうでいてなかなか難しい。先に述べたように、発起人の池田がかつての勤務校で行った実践では、この「ヘンテコで面白い」を充分定義することなく、タイトルだけで何となく、感覚的に選んでいったのですが、これらを概観し、帰納的に定義するならば、「具体的で、日常知に近い、あるいは娯楽的・好事家的要素の強いテーマでありながら、実証水準の高い論文」ということになるのでしょうが、どうもそれだけでは十分でない。発起人一同で頭をつき合わせる中で、ここに共通するのは「笑える」ということではないか?との結論に至りました。

 またまたいろんなたとえを用いて恐縮ですが、料理の次はアートの話をしましょう。今、伝統的で写実的な技法で美しい宗教画を描く流派があり、これが世の主流であったとしましょう。そこからは必ず、権威に反発し、新しい技法で描こう、あるいは脳裏に浮かぶ概念を浮かんだままに描こう、という新たな画派が生まれてきます。しかし一方で、伝統的な技法をきわめてお利口に修得し、権威にきわめて忠実に、「くしゃみをするおじさん」とか「電源コードを入れたと思って別のことをやっていたのに、1時間経って炊飯器の前に来てみるとコードを入れ忘れていたことに気づいて立ち尽くす女性」とかを描く画家も出てきます(あくまでもののたとえです)。

 前者も後者も、権威に対する何らかのオルタナティヴを実践しているという点では同じですが、前者が「権威に対する抵抗」であるならば、後者は「権威に対するイジり」と言うことができると思います。『Historia Iocularis』が価値を生み出そうとしている「ヘンテコで面白い」とは後者のようなものを指しています。超絶技巧で「なぜその画題を選んだ」という絵を描きたいのです。高度な能力を持つ人たちが、全力でくだらないことをやっているからこそ、笑えるのです。そしてそのような「笑い」にこそ、人を、世界を救う力があると、私たちは信じています。

 「笑い」とは、「悲しみ」と表裏の関係にあり、それとは最も遠いところにあるのが「怒り」だと思うのです。

 歴史上、様々な喜劇が生み出されてきましたが、優れた喜劇は必ずといってよいほど何かしらのペーソスを伴っています。悲しい生い立ち・境遇は、それをそのままに語ると人びとを黙らせ、場を硬直させてしまいますが、そのような生い立ちや境遇を持ちながらなお、いやそれゆえにこそ却ってそれがスパイスとなり、人を和ませ、笑わせることができる人は、真の喜劇役者です。そしてそれは、苦しい現実に対する「怒り」には到底生み出し得ない効果です。「怒り」は、それを向けられた相手からまた新たな「怒り」を生み、その連鎖は絶えることなく悲劇的な結果を招きます。もちろん、「怒り」も時には大事でしょう。しかし、それは私たちがやりたいことではないのです。私たちは、「怒り」ではなく「笑い」で、この閉塞した時代を生き抜く力を生み出し、この世界を少しでもよくしていきたいと考えています。

 たいへん遠回りをしましたが、『Historia Iocularis』が「具体的で、日常知に近い、あるいは娯楽的・好事家的要素の強いテーマでありながら、実証水準の高い」「笑える」論文に価値を与える、これまでにないプラットフォームを目指す究極の目的は、このようなところにあるということ、ご理解いただけたでしょうか。

 さて、ここまでのところで既にお察しの読者もおられることと思いますが、このような研究を評価する場は既にあります。かの有名な「イグノーベル賞」です。イグノーベル賞は、「人々を笑わせ考えさせた研究」に与えられる賞です。しかし、イグノーベル賞に歴史学部門はまだありません。というわけでこれも「ないのなら作ってしまえ」ということで、偉大なるイグノーベル賞に倣い、『Historia Iocularis』に掲載する論文の要件は「一瞬笑えて、後からジワジワ考えさせられる歴史学研究」とすることを、ここに宣言いたします。

 ここまで、たいへん長い長い文章を読んでくださりありがとうございます。迂回をしたり、道草を食ったりしながらのろのろと説明をしてきましたが、本誌の趣旨をご理解いただけましたならば幸甚です。本誌が少しでも多くの皆様に愛され、少しでも多くの仲間を生み出すことができるよう心より願っております。

令和5年6月1日

Office Iocularis メンバー一同

(池田さなえ・平山昇・関智英・大江洋代・菅沼明正)